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火曜日 私のこだわり人物伝
11月 澁澤 龍彦 眼の宇宙
私のこだわり人物伝 四谷 シモン/金子 國義
細江 英公/巖谷 國士

■四谷 シモン
1944年東京生まれ。人形作家。
10代前半から人形をつくり始める。 60年代後半は劇団・状況劇場の舞台で女形として活躍。73年に銀座・青木画廊で第1回個展を開く。2000年には人形作家として初めて公立美術館で巡回 展をおこなう。「六本木クロッシング2007:未来への脈動展」(森美術館)に天使の人形などを出展中。創作人形学校「エコール・ド・シモン」主宰。著書 に『四谷シモン前編』(学研)、『人形作家』(講談社現代新書)など。

■金子 國義
1936年埼玉生まれ。画家。
独学で油絵を描きはじめ、66年澁澤龍彦の注文で『O嬢の物語』の挿絵を担当。67年銀座・青木画廊で個展『花咲く乙女たち』を開き、画壇デビュー。絵画 のみならず、装幀、版画、写真の作品を発表し、近年では浴衣のデザインを手がけるなど、幅広く活躍している。おもな画集に「KUNIYOSHI KANEKO OIL PAINTINGS」(メディアファクトリー)、写真集「Drink Me Eat Me」(平凡社)。

■細江 英公
1933年山形生まれ。写真家。
63年三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』で評価を確立。舞踏家土方巽を撮った『鎌鼬』で69年度芸術選奨文部大臣賞受賞。ほかの写真集に『抱擁』『ガウ ディの宇宙』『ルナ・ロッサ』『死の灰―細江英公人間写真集』などがある。98年紫綬褒章受章。日本を代表する写真家の一人であり、2003年には英国王 立写真協会150周年記念特別勲章を受章するなど海外でも評価が高い。

■巖谷 國士
1943年東京生まれ。フランス文学者・旅行家。
東京大学文学部卒、同大学院終了。明治学院大学教授。『裸婦の中の裸婦』の連載を引き継ぐなど、澁澤龍彦にあとを託され、『澁澤龍彦全集』の編集や、今年 ひらかれている「澁澤龍彦 幻想美術館」展などの監修にあたる。著書に『シュルレアリスムとは何か』『ヨーロッパの不思議な町』(筑摩書房)、『澁澤龍彦 考』『澁澤龍彦の時空』(河出書房新社)、『封印された星』『澁澤龍彦 幻想美術館』(平凡社)ほか多数。

第1回 人形

人 形作家・四谷シモンさんは、10代の頃、自分が人形を作る理由や、人形製作とは何か、悩んでいた。その頃、中古書店で見つけた一枚の記事の中にあったのが 「人形とは動くもの。だからポーズは必要ない」という澁澤の文章だった。触発された四谷さんは、独自の世界を築いていく。澁澤本人と深い親交があった四谷 シモンが、「思考を探求する者の道程に関所のよう控えている」澁澤を語る。

 
第2回 エロス

画 家・金子國義さんは、澁澤に才能を見出されて画家となった。澁澤は金子さんにポーリーヌ・レアージュ作「O嬢の物語」の訳書の挿絵を依頼、さらに個展を勧 めた事で金子さんは画壇でめざましい活躍をする事になる。澁澤は金子さんに「単なる「エロ」か「エロス」かの違いは「品格」だと語った。「エロスの解剖」 「幻想の画廊」等の著作を通して、金子國義がエロティズムの視点から澁澤を語る。

 
第3回 少年
写 真家・細江英公さんは、澁澤が翻訳したサドの「悪徳の栄え」が発禁処分を受け、表現の自由を巡って争った裁判の最中に出会った。澁澤の顔付きは係争中にも 関わらず少年の様だった。その後細江さんは、澁澤の写真を数多く撮影する。海岸で花札に夢中になっている澁澤と当時の妻、矢川澄子の写真は、「これぞ渋澤 龍彦」という面白いものになった。大人の世間知が尊ばれる日本で、澁澤は少年のビジョンを失うことなく成熟した数少ない人間だった。細江英公が「永遠の少 年」澁澤を語る。
 
第4回 旅
美 術評論家・巖谷國士さんは、澁澤に「俺の学生時代にそっくりだ」と言われ、晩年、病室で「あとを頼む」と言われた。全集の編纂にもあたった巖谷さんは澁澤 を「ゆっくり変貌しつづける作家」と捉える。「書物の旅」から「幼年期への回帰」、そして「時空をかけめぐるファンタスティックな物語世界」。休むことな く歩き続けた澁澤の人生と作品世界を巖谷さんが「旅」になぞらえて語る。