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K-POPの質の高さの裏に日本と韓国の歴史ありと書評家絶賛
小説よりもエッセイが好きなOLのカオリさんは、 1児の母である40代のルミさんは、こう語る。 月に30冊以上読むというライター・コンさんは次のように話す。 そして、音楽の力は政治の壁を超えて人の心をとらえることに感動。日韓の音楽シーンの知られざる側面を丹念に取材した硬派なノンフィクションだ
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「K-POP 遙かなる記憶」 ブームの〝仕掛け人〟たちと いしだあゆみ、BIGBANG、KUWATA BAND、
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BIGBANGとブルー・ライト・ヨコハマ 人気グループBIG BANG(빅뱅)。公演の最中にいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」で口をさみさんだ。実は韓国でもっとも知られた日本の歌なのだ。前著書「禁じられた歌」でも述べられている韓国とブルー・ライト・ヨコハマの関係。韓国POP界をリードしてきた作曲家・キム・ヒョンソク(김형석)が証言するK-POPへの影響は。幻の「白盤」発掘も。
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スキップ・ビート at 2PM 韓国第二のK-POPプロダクション・JYPエンタテインメントのパク・ジニョン(박진영)。通称JY-PARK。プロデューサーでもあり、歌手でもあり、2PMや2AM、WONDERGIRS、MISS Aの楽曲も提供する作曲家でもある。彼は高校生の頃、桑田佳祐や久保田利伸に影響を受けた。初めてクワタバンド=桑田佳祐(サザンオールスターズ)の「スキップ ビート」を聞いて驚いた。K-POP仕掛け人の青春と日本の歌の関係。
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KARAのミスターを探して ソウルにあるオリンピックスタジアムで開催された「Asia Song Festival 」。ミスター(Mr.)を歌うKARA(カラ)。このKARAのステージを客席から見守る二人組。KARAや後輩のRAINBOWの作曲を手がける、ハン・ジェホ(한재호)とキム・スンス(김승수)。彼らを通してK-POP誕生の謎に音楽的見地から迫る。 |
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百年目のARIRANG なぜK-POP仕掛け人たちは隠れて日本の歌を聴いたのか? 1910年、日本は韓国を併合。朝鮮半島の人たちを日本人に同化する政策をとった。パン・ヤウォル(半夜月)は録音するときは朝鮮総督府の検閲を受けなければならず、日本人の気分に合わないと禁止された。右上写真は当時発売を禁止されたという記録が残っているチェ・ドンウォンが歌ったアリラン。禁止の理由は「治安」としか書かれていない。 |
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リ・イマジネーションの季節 日本文化の禁止政策は続いていたが、韓国では日本の歌の人気があった。「恋人よ」「I LOVE YOU」「リバーサイドホテル」「赤いスイートピー」「ジュリアに傷心」「ダンシングオールナイト」「「乾杯」「Good day」「お祭りマンボ」「お嫁サンバ」…。中でも安全地帯は、広く人気があった歌手。また「恋人よ」はのちに隣愛(LINEA)が「離別後-愛」としてカバー。キム・セフン監督により韓国人俳優が出演したミュージックビデオも作られた。韓国でカバーされた日本の歌の数々を関係者に聞いた。 |
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「冬のソナタ」と「雪の華」 2002年のサッカーワールドカップ共同開催の翌年、日本で韓国ドラマ「冬のソナタ」が大ヒットし「韓流ブーム」「ヨン様ブーム」が湧き起こったのだ。「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督。「冬ソナ」プロデューサーで「ごめん、愛してる(ミアナダサランハンダ)」の監督でもあるイ・ヒョンミン監督が選んだ「雪の華」。そしてヨン様も出演した「ドリームハイ」への系譜を辿った。
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少女の時代がやってきた K-popブームの台風の目となった「東方神起」や「少女時代」が所属する韓国最大手プロダクションのSMエンターテインメント(SME)。会長のイ・スマンは「韓流株式財閥」と呼ばれるほど大成功した。しかしその彼がK-POPの帝王となる課程には、日本の影響があった。韓国で人気のあった「少女隊」。ダウンタウンの番組で「オジャパメン」としてヒットした「ソバンチャ(消防車)」。「H.O.T.」の成功と、「S.E.S.」の日本進出。そして「BoA」、「東方神起」と続く系譜をひもといた。写真はK-POPブームの前夜とも言える2000年のM-NETのスタジオ。
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虹と野獣 KARAと少女時代の成功以来、続々と日本進出を果たすガールズグループたちが後を絶たない。それ「ぞれ長い練習期間を経てすでに韓国でアイドルとして活動しているだけに、日本での競争は熾烈なものとならざるをえない。猫ダンス」のT-ara、「ドラムパフォーマンス」のAFTER SCHOOL、「半地下アイドル」Secret、「KARAの妹分」RAINBOWなどが日本上陸を果たした。一方、東方神起の後を追う男性グループ達の戦いも、日々熱をおびている。野獣アイドルのキャッチフレーズで日本デビューした2PMとBEAST。それを支えるオーディション番組。K-POP育成の舞台裏は。
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真夏の夜のK-POPドリーム 日本で次々とデビューするK-POP歌手達。ショーケースは韓国のテレビ局・韓国放送公社(KBS)なども一緒になり盛り上げている。2011年の夏は、太陽の光が容赦なく降り注ぐ中、大挙押し寄せたファン達でさらに熱くなっていたまさにK-POPのピークの年だった。KARAの追っかけを自認するグループの人々(写真)を始め、多くのファンがK-POPを契機に韓国への関心を持ち始めていた。幅広い年齢層のファンたちを見ると、K-pop人気が一過性のブームではなく、確実に日本社会に溶け込んできているようにも見えるが…。
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K-POP身世打鈴 近頃の歌謡(K-pop)は、本当に問題が多いよ。歌より必要なのは全身整形。歌はフックソングにオートチューン…。K-POPの画一性をもまたK-POPで歌うアーチストSAN E(サニー)。黒人にルーツがあるともいわれるラップは、自分の身の上に起きた出来事や心の思いを節に乗せて延々と歌う韓国の伝統歌唱「身世打鈴(シンセタリョン)」のようであり、歌うことによって魂の昇華が得られているようだ。それはラップミュージックも似ている。歌が好きな韓国人とK-POP成功の関係とは?
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K-POP大御所の告白 かつて日本には韓国からたくさんの歌手が進出してきました。なかでもパティ・キムさんは、1960年、日本と韓国に国交が無かった時代、日本に進出した歌手。代表曲は「イビョル(離別)」。 |
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Chon Wolson officilal Website www.wolson.com