1996年4月、そして6月の二度に渡って在日2世オペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)の歌声がアメリカ・ロサンゼルスの町に鳴り響いた。
会場・ウィルシャー・エーベル・シアターには千人の観客が集い、在日のプリマの登場を期待と熱気の中で迎えた。ブルーのイブニングドレスに身を包んだ田月仙が颯爽と舞台に現れると溜息と共に一斉に拍手が送られた。
オーケストラの奏でるビゼー作曲「カルメン」の前奏曲が始まると田月仙は情熱の女カルメンとなり瞬時に会場全体を支配し観客の心をとらえた。アリア「ハバネラ(恋は野の鳥)」、「ジプシーの歌」を華麗な振りと共に歌い終えるや、会場からは「ブラヴァー」の歓声と共に盛大な拍手が送られた。
続いてコリア歌曲「鳥よ鳥よ青い鳥よ」「高麗山河わが愛」が歌われた。人々は日本からきたソプラノ歌手がコリア歌曲を正確なハングルで情感豊かに歌い上げるのを聞くと、感激を押さえることなく椅子から立ち上がりスタンディングオベーションを送りながら「ブラヴァー」を連発した。客席では涙を拭う人も見受けられた。会場の拍手は鳴りやまなかった。アンコールでは日本の歌曲「浜千鳥」も歌った。
ロサンゼルスにはアメリカ最大のコリアタウンがある。町にはハングルの看板が溢れて、スーパーの一角は赤唐辛子とキムチで真っ赤。町では韓国語で生活のすべてが用が足せる、というより韓国語しか喋れない人も多かった。
アトランタオリンピックを控えた4月。韓国からやってきたオリンピック金メダリストが聖火ランナーとして走り、コリアタウンではそれに合わせてお祭りが催されていた。民族舞踊、テッコンドーなども披露されていた。
コリアタウンにはラジオコリアやFMソウル、韓国日報や中央日報などの韓国人向けマスコミも多い。新聞は支局というよりもむしろ在米向けの記事が多く、毎朝ソウルで発行される内容プラス米国版がつけ加わるため紙面は数十枚でずっしりと重い。田月仙はこれらのラジオや新聞から取材された。また有名なロサンゼルスタイムズの記者コニーカンも田月仙に会いにホテルまでやってきた。
今回の田月仙の渡米の目的はコンサートだけではない。田月仙が在日社会をはじめさまざまな場所で歌い続けている「高麗山河わが愛」の作者に会うという目的もあった。
南であれ北であれ、いずこに住もうと、
皆同じ愛する兄弟ではないか。
東や西、いずこに住もうと
皆同じ懐かしい姉妹ではないか。
山も高く、水も清い
美しい高麗山河、わが国、わが愛よ。
1994年、オペラ「カルメン」の主役を演じるため韓国ソウルを訪れた田月仙は偶然一曲の歌に出会った。それが「高麗山河わが愛」だ。 南北の平和に共感を持った田月仙はこの歌の作者を尋ねたがわからなかった。その後彼女は作者を知らないまま様々な場所でこの歌を歌い続けた。そして今年1月、その評判を聞いた作者から田月仙宛に手紙と楽譜が送られてきたのだ。この歌を作詞作曲したのは74歳の在米韓国人の歯科医であった。
田月仙はロスでの公演の後、ワシントンにある作者の家を尋ねた。作者の名は廬光郁。1922年に現在の北朝鮮・南浦で生まれ、1943年にソウルで初のリサイタルを行った。
南北の分断が固定し一千万人以上の離散家族が生まれた朝鮮戦争。南北の諍いに幻滅した廬光郁は、朝鮮戦争休戦の年、留学生として31歳でアメリカに渡った。アメリカでは歯科医として生計をたてつつも自作の歌を作り続けた。アメリカの市民権をとったあと、北朝鮮にも韓国に行った。しかし、北に行けば南で拒否し、南に行けば北で拒否する…。『体はアメリカにあったが頭の中には朝鮮半島しかなかった』。分断による政治に翻弄されながらも南北の平和と統一を願い「高麗山河わが愛」を作詞・作曲したのだ。
しかしこの歌は生まれたアメリカでは長い間歌われることはなかった。86年に作曲発表会のときに一度歌われたきり、すでに10年の月日が流れていた。それをよみがえらせたのが在日オペラ歌手・田月仙 だった。
「高麗山河わが愛」を作詞作曲した在米コリアンとそれを発掘した在日歌手。祖国を離れた経由は違うが、その歴史的差異を乗り越えて二人は出会った。
作者は「月から仙女が降りてきたようだ」と喜び、田月仙が歌う自作の歌を聴くと溢れる涙を拭い彼女を抱きしめた。 日本生まれでありながら38度線の両側で歌った田月仙もまた分断の悲劇を身を持って痛感していたのだ。廬光郁がこの歌を作曲したのも田月仙がこの曲を歌い続けたのも同じ理由からだ。 世代と国境を越え統一を願う共通の思いがお互いを結びつけた。 |
田月仙のロス公演はコリアタウンで話題を呼び、わずか一ヶ月後の6月にアンコール公演が決定した。「コリア歌曲の夕べ」と題された在米の音楽家のコンサートに一人だけ外国から招かれたのだ。 地元のラジオ局では田月仙のための特別番組も組まれた。1500人を埋める会場には様々な人がつめかけ熱気に包まれた。プログラムのラストに登場した田月仙は観客の拍手に応えコリア歌曲を熱唱した。
…遥か昔から美しい金剛山。行くこともできずにもう何年たったのか。
今日こそ訪れる日が来たのか! 金剛山は呼んでいる…
壮麗なオーケストラの伴奏をバックに「懐かしい金剛山」を歌いきると会場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。「ブラヴァー」の嵐。アンコールではやはり「高麗山河わが愛」が歌われた。
南であれ北であれ 東であれ西であれ、皆同じ愛する兄弟ではないか…
人々は今度はこの歌を自分たちの歌として受け入れていた。在日・在米ともに祖国の分断の影響から逃れられずに生きてきた。涙を拭う人々。そこには92年のロス暴動で息子を失った母親の姿、店を全て焼かれた人の姿もあった。全員が立ち上がり日本から来たこの歌手に拍手を送り続けた。舞台にかけよる老人の姿もあった。
「高麗山河わが愛」。典型的なコリアのリズム、3/4拍子。歌詞は素朴で単純。政治でもなくイデオロギーでもないただ素朴な歌だけが人々の心に残った。
Chon Wolson officilal Website www.wolson.com