(パート3 産経新聞の記事より抜粋)
在日コリアンのソプラノ歌手・田月仙リサイタル 併合100年 運命をたどる
日本、韓国、北朝鮮の首脳の前で独唱した歌手は、世界広しといえどもこの人しかいない。
日本と朝鮮半島の懸け橋となって歌い続けてきた在日コリアンのソプラノ歌手、田月仙が、リサイタル「海峡のアリア・パート3」を開く。日韓併合100年の年に合わせ、さまざまな運命をたどった曲がテーマだ。
リサイタルで歌う「鳳仙花(ほうせんか)」は、東京音楽学校(現東京芸大)に学んだ朝鮮出身の洪蘭坡(1897〜1941年)が、植民地時代の大正9(1920)年に作曲した。当時は朝鮮民族独立の象徴の歌とされたが、21世紀になると、今度は洪蘭坡が韓国で“親日派”のレッテルを張られ、糾弾の対象となった。
「昭和17年に、日本に留学していたソプラノの金天愛が日比谷公会堂(東京)で歌い、感動の渦を巻き起こしたという伝説の歌。歴史に翻弄(ほんろう)されたが、歌詞がとても美しく、私もずっと大事に歌い続けてきました」と田は言う。
“親日派”への糾弾は、韓国の盧武鉉政権時代に始まった。「反民族的な行為」をしたとされる者のリストには、戦前・戦中に日本で活躍したテナー歌手、永田絃次郎(げんじろう)(1909〜85年)や、「半島の舞姫」崔承喜(1911〜69年)の名前もある。「日本と朝鮮半島の懸け橋になりたい」と話す田月仙
「当時は、所属していた組織自体が日本の傘下になっていたり、やむを得ないケースが多かった。民族の英雄ともたたえられた洪蘭坡さんは、名前を冠した音楽祭まで変えられてしまったのです。暗黒の時代を生きた芸術家が、死後数十年もたって、糾弾されるとは…。こんなおかしなことはありません」
田自身も98年、まだ日本の大衆文化が禁止されていたソウルで、予定していた日本語の歌の許可が下りず、やむなく歌詞をつけずに母音だけで歌った苦い思い出がある。
「そのころと比べると、すっかり様変わりしました。一部に制限が残っているとはいえ、韓国にはどんどん日本の大衆文化が公式に入ってくる。日本でも韓流ブームに沸き、Kポップ(韓国の流行歌)が街中にあふれています。在日コリアンとして、こんなにうれしいことはありません」
リサイタル「海峡のアリア」も今回で3度目。「両者のはざまで生きてきた人間としてのライフワーク。音楽がどのような力をもって日本と朝鮮半島で歌い継がれたか。歌を通して当時の人たちの思いを伝えたい」と力を込めた。
曲目はほかに「追憶」「恨五百年」など。
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