「在日」歌手に南北で喝采 韓国、朝鮮を祖国と考え、日本を故郷と思う在日二世
豊かな歌声を三首都で響かせ、「心のけじめ」をつけた。
湖上に咲くー輪の水仙に、満月の光が差している。娘を体内に宿しながら母は、そんな夢を見た、という。だから生まれてきた子の名前は田月仙となった。田は父方の姓である。
第二次世界大戦へかけての時期に、日本に併合されていた朝鮮の、慶尚南道から、田月仙さんの父母は日本に来た。
東京都下で生まれ、在日朝鮮人二世として育った田月仙さんは、この十月七日、東洋一の規模といわれる韓国・ソウルの歌劇場で、ビゼー作曲のオペラ『カルメン』の主役を演じ聴衆を魅了した。韓国の新聞、テレビは、彼女の出演を大きく報じた。
「ソウル定都六百年」を記念して、韓国オペラ団と東亜日報社が共催したこの公演が、田月仙さんの韓国での初舞台だった。
南北公演で「心のけじめ」つく
カルメン役をこなし切ったその演技力、声量の豊かさなども韓国のメディアで讃えられたが、彼女が何より注目されたのは、在日朝鮮人がソウルの舞台芸術界へ進出し始めたという事実と、その人が、九年前に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で、オペラのアリアや朝鮮歌曲をうたっている、ということだった。
田月仙さんは、北朝鮮でも、熱狂的な拍手を受け、会場に来ていた金日成国家主席からは、金日成名の記された腕時計が贈られた。
そして、ついにソウルで。「これで、心のけじめがつけられました」
と、言う。
田月仙さんには、悲運の親戚がいる。
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)がかつて進めた、北朝鮮への帰国運動に従い北朝鱗に渡ったが、消息が分からない。一人は、朝鮮戦争の時、爆撃を受けた韓国の智異山中で行方不明になった。
田月仙さんは、平壌での出演に招かれた時、親戚たちの悲境を知りはじめていたが、黙して、国家主席の前で歌唱した。
日本敗戦後の成り行きのなかで、北朝鱗籍を選択し、朝鮮総連系の組織で活動する体験もした父母を苦しい立場に追い込みたくなかったし、朝鮮半島そのものが自分の祖国で、南北への分裂は、自分らの与り知らないこと、と考えてもいたからだ。
ということは、韓国もやはり祖国であり、しかも、父母の生まれ故郷でさえあった。
何年か前に、その韓国側から出演依頼があった。
「きたきた」
田月仙さんは、運命を感じたが、準備が整わず、南北両首都をつなぐ日は、この十月となった。
この声楽家に、どこが真の故郷か、と尋ねたら、「日本でしょうか」 と返された。
国籍は、朝鮮籍から昨年韓国籍に変えた。
「祖国は、地図にあるあの朝鮮半島です。しかし・…・」
日本名での舞台活動考えず
田月仙さんは、日本の小中高校にあたる教育を、朝鮮総連系の民族学校で受けていたが、桐朋学園大学短期大学部芸術科は、田月仙さんのピアノ演奏、声楽の実力を知り、受験資格を認める措置を取ってくれた。そして合格する。
それまで勉強してこなかった漢文、日本の国語、古文の受験勉強にも挑戦した。父の商売が倒産したが、ピアノの弾き語りのアルバイトをして、乗り切った。
総合芸術といわれるオペラこそ自分を最も生かせる道、と彼女は感じる。二期会の会員にもなり、いくつもの難役をこなしていく。
日本統治下に祖国が組み込まれた歴史を、田月仙さんは、民族教育を受けるなかで頭にたたきこまれているが、平壌とソウルの聴衆
に聴いてもうえたのも、
「日本の友人、先生が応援してくれたから」
と、ためらうことなく語る。
日本を故郷と意識しながら、「田月仙」という名前が気に入り、日本名を使った舞台活動なんて考えたこともない、という。
AERA