「個人」が「世界」を相手にするとき最後に問われるのは「民族性」です オペラ歌手 田月仙
CHON WOLSON
朝群半島の南と北の両国で熱唱した在日韓国人の歌姫。
オペラ歌手・田月仙さんには、つねにこうした紹介がついて回る。
両覿は慶尚南道出身で、戦前、日本へやって果た。
幼いときから通名(日本名)は使わず本名で通してきた彼女は、朝鮮総聯系の民族学校を経て、桐朋短期大学芸術科・同研究科へ進み、卒業後、オペラ歌手としての道を歩みはじめる。
そんな彼女にとって大きな節目となったのが、85年、北朝鮮の平壌で開かれた世界音楽祭に招かれたことだ。じつは彼女の親類のなかには北朝鮮に帰国したまま消息不明になっている者もいるのだが、そうした複雑な立場はおくぴにも出さず、金日成王席〔当時)の前でオペラのアリアや朝鮮歌曲を熱唱した。
当時、彼女は朝鮮籍だった。だが、オペラの本場イタリアにも入国できないなど何かと不自由な面が多く、93年、韓国席を取得。そして翌射年、韓圏に招かれ、ソウルのオペラハウスで歌劇「カルメン」の主役を演じて絶賛を浴びた。「在日2世として初めて南北両国の舞台に立ったオペラ歌手は、こうして誕生したのである。
そんな田月仙さんの目に・在日韓国人・朝鮮人の現状はどう映っているのか。
自分の足で歩いた米国ロサンゼルスのコリアタウンや中国・延辺の朝餅族社会と対照させつつ語ってもらった。
私は1996年、ロサンゼルスのコリア・フィルハーモニーの定期演奏会に初めてソリストとして招待されました。そのとき、ロスの在米韓国人街、いわゆるコリアタウンを目の当たにしたのですが、その規模の大きさには本当にびっくりしました。まるで韓国にいるかのような錯覚さえ覚えたものです。
米国も中国も自然に受け入れてくれる
このコリアタウン発展に貢献した年配の韓国人に開いたところでは、ロス在住の韓国人が徐々に増えはじめてきたころ、彼らは自分たちのお店の看板などに韓国文字を積極的に使用する運動を始め、それが今日の大規模なコリアタウン形成へとつながっていりたのだそうです。いまでは、韓国から呼び寄せた両親や祖父母といった上の世代の人たちのための簡単な英会話教室から、アメリカで生まれ育った在米2世・3世のための韓国語学校、韓国語の新聞や放送局、さらには「コリア・フィルハーモニー」まで整っています。
コリアタウン内にいるかぎりは英語ができなくても十分に生きていけるし、ごく自然に民族としてのルーツに触れていることが可能なのです。
といっても、ことさら韓国人だけで排他的に固まろうとしているわけではありません。
とくにロス暴動をきつかけに、他民族、とくに黒人の人たちを積極的に雇用しよとする韓国人経営者も増えはじめ、教会でも韓国人と黒人が一緒に音楽会を開き、コーラスを楽しむといった光景も多く見られるようになつてきました。コリア・フィルにしても、指揮者こそ韓国人ですが、楽団員にはさまざまな民族の人たちが参加しています。
同じ96年、私はもうひとつ貴重な体験をしました。朝鮮族が多く住んでいる中国の古林省延辺を訪れたのです。北朝鮮との国境に近いその町を訪ねてみると、ロスで見たのと同じ光景が目に飛び込んできました。お店などの看板の表記としてハングル文字が優先され、その下に中国語が添えられているのです。
地元の大学で教鞭をとる朝鮮族の教授に聞いたところ、「中国ほど民族間題を巧みに解決している国はありません。だからこそ自分たちは、朝鮮族であることを大切にしながら、同時に中国を愛し、この地で暮らしていけるのです」といった答えが返つてきました。無論、その教授の答え方には中国への配慮が多分に含まれていますが、その上でなお、私は羨ましく感じたものです。少なくともそこには、自分たちの民族としてのルーツや誇りを大切にできる環境が存在していると思うのです。
私は小さい頃から田月仙といつ本名で通してきました。いろいろと大変だったでしょう、などと言われることもありますが自分のありのままの姿で頑張って生きていくのが当たり前だと思ってきました。そんな私の目から見た目本社会の現状は、あリのままのものを当たり前に受け入れてくれる成熟した社会にはまだまだほど遠いように映ります。
アメリカでは市民権を取得するとき、合衆国憲法を遵守することを宣誓しますが、だからと言って各々の民族のルーツを大切にすをことまで妨げたりはしません。
ところが日本で帰化しようとすると、それまでの自分のアイデンティティを抹殺し、新たに日本人として生まれ変わらねばならない、といったニュアンスが強いのです。戦前の皇民化政策による創氏改名と何ら変わらない感じがする。そうした帰化制度そのものに抵抗を感じて帰化しない在日の人も多いのです。
もちろん、私の両親や祖父母の時代に較べれば日本における在日の環境は徐々に良くなっていますし、私のような在日2世よりさらに若い3世の人たちのなかには、自分は完全に日本人だと思っている者も増えています。けれど、帰化問題を含めて日本の制度や社会はまだまだ閉鎖的です。在日韓国人・朝鮮人にとっても、日本人にとっても、お互いに未熟というか過渡期にあるのだと思います。
「個人」対「世界」というスタンスで考える
オペラは総合芸術です。そのなかでオペラ歌手は、マイクを持たずに体ひとつで舞台に立ち、「蝶々夫人」なら日本人、「椿姫」なら西洋人を演じなければなりません。その意味でオペラは、本来、インターナショナルな舞台芸衝であり、オペラ歌手は常にたった独りで世界に相対しているわけですが、それだからこそ、その世界でのレヴエルが高くなればなるほど、自分にしか備わっていない個性、民族性といったものが勝負のポイントになってきます。
昔から朝鮮半島では、歌とか舞踊が生活に密着していました。嬉しいにつけ悲しいにつけ、人々はその心情を節に乗せて感情豊かに表現してきた歴史を持っています。あえて感性を内向的なものと外向きなものとに分けるなら、どちらかと言うとと日本人は内向的で抑制した表現を好むのに対して、朝鮮半島の人々は明らかに外向きなタイプだと思います。
イタリア人も明るくて外向きな表現を好みます。”半島”という地理的条件に何か共通点があるのかどうかはわかりませんが、韓国人・朝鮮人特有の感性は、オペラという表現形式に適しているように思えます。
その意味で私は恵まれているのかもしれません。
そんな私から在日3世の若者たちに望むことは、まず、狭い枠組みにとらわれずに、全世界に目を向けてほしい、といことです。
これだけ地球が狭くなり、お互い自由に往き来できる時代になったのですから、世界中のさまざまな異民族・異文化に出会っても、その人たちときちんと向きA甘つことのできる個人としての実力を蓄えてほしいのです。
そういった「個人」対「世界」というスタンスを持っていれば、何か大きな時代の超勢、例えば煽った思想といったものに振りまわされることなく、共同体ともうまく付き合っていくことができる。
ただし、先ほどオペラを例にとって話したように、インターナショナルな世界でレヴエルが高くなればなるほど、自分に備わった民族性とい、つものが有形無形の形で問われてきます。人間は社会に存在しているかぎり、自分の根っこ−両親とか民族
とか国家というものに誇りを持てなければ、他の民族や国家ともうまく共存していくことはできません。
各々が誇りを持っているからこそ、他の民族や国家を尊重する気持ちも生まれてくるし、同じ土台の上で話し合い、理解し合い、共存することも可能になるのです。そうでなければ、突き詰めると戦争しかなくなってしまう。
人類が共存していく上で、各々の過去、民族性、ルーツヘの認識は不可欠です。
朝鮮半島の分断という事実は、世界史的に見ても大きな課題です。
私にも南北に分離されたまま会えない覿戚がいます。生死もわからぬまま肉覿が引き裂かれているなんて、人間として悲し過ぎます。
私はこの7月23日、東京「渋谷ジァン・ジァン」で『コリアンリリックソングのタベ』と題したコンサートを開きます。南北統一への想いをこめた「高麗山河わが愛」など、韓国で愛される古今の叙情歌を歌う予定です。
インターナショナルな総合芸術=オペラも、民族性に根ざした叙情的なコンサートも、そのどちらもが在日2世として生まれ育った私の、大切な表現の場に他なりません。