文化親善大使としてソウルを訪れて体験したこと(日本文化解放)でも

『夜明のうた』の歌唱を否定した韓国社会の深層心理

 

オペラ歌手 田 月仙

昨年7月の金大中韓国大統領の訪日では、新たなる日韓関係の構築がつちかわれこれまで韓国では禁止されてきた日本語歌曲が解禁される運びとなった。

その直後、文化親善大使としてソウルを訪れ(赤とんぼ)などを歌ったのが、在日コリアンとして日本で生まれ育ったオペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)氏である。かつて北朝鮮でも歌った経験も持つ彼女に、ソウルでの日本語歌曲の反応や自らの体験から現在の韓国における反日感情について語ってもらった。

 

(祖国はコリア。故郷は日本)との思いを持ちながら、しかし、国家レベルでは両国から、外国人、のような扱いを受けているのが在日韓国・朝鮮人です。私自身、生活の中でひどい差別を受けたことはありませんが、大学受験では朝鮮学校卒を理由に受験を否定されてという経験も持っています。

 その在日コリアンである私に、98年10月に行われた東京都とソウル市の友好都市10周年記念行事で、日韓の親善大使という大役を任せていただいことは大変な光栄であり、日本が変わりつつあることを実感させる出来事でした。この依頼は両国を理解し愛情を持っている私たちにしかできない仕事だと思い快諾しました。

この記念行事では、東京とソウルで2回公演を行い両都市で韓国語の歌と日本語のを歌を歌ってほしいと頼まれました。そこで私は日本語の歌に、故岸洋子さんが歌ってヒットした『夜明けのうた』とい、『赤とんぼ』『浜千鳥』の3曲を選びました。特に『夜明けの歌』は、過去の悲しみを流して新たな一歩を踏み出そうといった内容の歌詞で、これほど日韓友好にふさわしい曲はないと考えたのです。

しかし、この選曲は意外に大きな波紋を広げることになりました。

ご存じのように、韓国ではまだ日本の歌謡曲やポップス、いわゆる大衆歌謡を公の場で歌うことが許されませんでした。私は歌曲や歌謡の区別なく、親善にふさわしい歌を選曲したのですが、『夜明けのうた』は過去にヒットした経験から大衆歌謡であるとの位置づけをされてしまいました。

日本の新聞各誌では《夜明けのうた》で夜明 韓国《日本語歌謡曲》ソウルで解禁に)(98年10月2日朝日新聞朝刊)日韓交流『夜明けのうた』日本語演奏解禁)(98年10月8日読売新聞夕刊)と、金大中大統領が訪日したときに、日本の大衆文化の国内解放を表明した直後だっただけに、“大衆文化の解放第一号”として大々的に扱われ、大変な注目をあびたのです。

日韓親善の事業なので、たくさんの人々に知ってもらうことはもちろん大切です。しかし、日本のマスコミがこの公演を“日本文化解放”という意味でとらえているという事実は、韓国側を強く刺激したようです。ソウル公演は東京公演の1週間後に行われる予定でしたが、東京公演が終わった頃から『夜明けのうた』の許可が出ていない)という噂が飛び交い始めました。私とちは不安に思いながらも、正式にはなにも通達がないのでそのまま準備を進めて韓国へ出発しました。

やはり不安は現実になりました。青島都知事(当時)から託された親善を高建ソウル市長に渡す直後に、現地スタッフに方から『夜明けのうた』は歌わないほうがいいと言われました。しかし、『夜明けのうた』そのものに問題があるとはとても思えません。

そして、市長に親善を渡すときに(日本の歌1曲が歌う許可が出ていないと聞いたのですが、)と申し出ました。すると、市長は(青島都知事には日本語の歌を2曲歌ったと報告してください)とおっしゃられました。

メインの曲が抜けたため動揺はありましたが、『赤とんぼ』のイントロに『夜明けのうた』のメロディのモチーフを織り込み、歌詞は歌わないで声だけを合わせて歌うことにしました。幸い、公演には子供からお年寄りまで役2000人の方たちに来ていただき『赤とんぼ』を歌い終わったときは歓声があがるほど喜んでもらえました。親善大使という大役を果たすことができたのは救いでした。

この『夜明けのうた』を始め、日本・韓国・北朝鮮の歌曲を入れたCDを今年の9月に出したのも、歌を通じて両国の相互理解を深めて欲しいと思ったからなのです。

 

日本文化解放への漠然とした不安

 

韓国では当然のことながら、植民地時代を生きた世代と若い世代の間に断絶があります。

現実には、海賊版で日本の大衆歌謡のCDは街¥に溢れ、日本の歌が歌えるカラオケ店もたくさんあります。日本のアイドルやミュージシャンは大変な人気があり、NHKのBS放送は新聞のテレビ欄にものっています。そんな状況の中で、(公式には認めない)と言ってもナンセンスに見えるかもしれません。

私自身も本音ではそう思います。しかし、日本文化解放が日本の文化的侵略につながるのではないかという漠然とした不安を感じているのは事実なのです。それはかつて朝鮮半島の人々をすべて日本人の同化させようとした行為を思い出させるからでしょう。外国人は日本に帰化する条件も、名前を日本風に変え、日本人になりきることが要求されました。

昔から日本人は、何でも日本風に変えて自らの文化に取り込んできました。それが長所でも短所でもありますが、韓国を単なる大きな音楽市場としてしか見ずに、日本文化開放を叫べば不安を感じるのは当然です。韓国にとって日本は目標であることも確かです。最近はメディアでも「日本のやり方に学べ」といった論調も目立つようになりました。しかし、日本文化を無節操に取り込むつもりはないのです。

現代の韓国の若者たちは、反日教育とまでは言えませんが、学校で植民地時代に日本が何をしたかを徹底的に学ばされます。

それでも、日本の音楽が好き、日本の文化が好き、という若者たちがたくさん存在するわけです。その背景には、直接植民地時代を体験していないという事があるにせよ、過去の日本と現在の日本を冷静に受け止め、日本の良さも素直に認められる世代が育ってきたのは事実だと思います。

 

あまりにも知らなすぎる日本の若者たち

 

一方日本の若者たちはどうでしょうか。日本側と韓国側で戦争に対する解釈の違いはあるのでしょうし、私たちが学校で習ったことがずべて事実だとも思いません。

しかし、日本の若者たちは植民地時代に日本が朝鮮半島で行った行為を、あまりにも知らなすぎます。教科書に書いてあっても、現代史まで授業が進まないことも多いと聞きます。仮に知っても、それは試験で答案を埋めるための情報の一つに過ぎず、植民地にするとはどういうことなのか、なぜ朝鮮戦争が起きたのか、なぜ在日韓国・朝鮮人が日本にいるのかをちゃんと認識している人は非常に少ないように思います。

私たち在日韓国・朝鮮人は両国に愛情を持っていると書きましたが、だからこそ、両国に対して苛立ちを感じることもままあるわけです。それはお互いがお互いに対して、“知ろうとする努力をしていないこと”です。

日本では感情を露わにしないことが美徳とされます。しかし、それが原因で、欧米では(日本人は何を考えているのかわからない)という評価をされ、実は韓国人もまったく同様に印象を持っています。

だから、日本の政治家が不用意な発言をすると、「本音が出た」「韓国はうるさいから、形だで謝っておけばいいと考えているんだ」と怒りがこみ上げてくるのでしょう。

謝罪とは、まず自分たちが何をしでかし、相手にどんな被害を与えたのかを理解した上で行う行為ではないでしょうか。それ抜きでは謝れても、許す気になれないのは当然です。無視したり、体裁だけ繕ったりするのが、もっとも相手を怒らせる行為であることを忘れなでください。

韓国側が謝罪を求めるのは、口で謝罪の言葉を言ってほしいからではありません。実際にの加害者でもない日本の若者たちに“反省”してもらおうと思っていません。根底にあるのは、“知って欲しい”という気持ちです。もっとも近い隣の国なのですから、もう少し興味を持ってもいいのではないですか。人間同士でもお互いの友情を築くことはできません。知る努力をしてほしいのです。