2015年、日本と韓国が国交正常化50年を迎える中、歴史に翻弄されながらも日韓の懸け橋として生きた女性を題材にしたオペラの制作が進んでいる。(オフィシャル)
2015年、日本と韓国が国交正常化50年を迎える中、歴史に翻弄されながらも日韓の懸け橋として生きた女性を題材にしたオペラの制作が進んでいる。
オペラの主人公は元日本の皇族でありながら、朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ/イバンジャ=1901〜1989)。「日本と朝鮮の融和を進める政略結婚」とも言われたが、戦後、反日感情が強い韓国に渡り、日韓の懸け橋となった。近年になり、方子の様々な資料が再確認されている。オペラの台本は、これらの資料を読み解きながら作り上げられている。
制作の中心人物はデビュー以来、30年にわたり歌で日韓をつないできた在日コリアン2世のオペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)。「日韓国交50年のいまこそ、方子妃の人生を広く伝えることで、日韓関係をもう一度みつめなおしたい」とオペラの企画をした。
来る9月27日、新国立劇場にて、「2015年日韓国交正常化50周年記念特別企画創作オペラ『ザ・ラストクィーン』Opera The Last Queen〜朝鮮王朝最後の皇太子妃 李方子〜」と題して、公演される。
■李方子妃とは…
元皇族・梨本宮家に生まれ、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補ともいわれたが、1920年(大正9年)、日本の王公族となった旧大韓帝国の元皇太子・李垠(りぎん/イ・ウン)殿下と結婚。韓国併合時代、「日本と朝鮮の融和を進める政略結婚」とも言われた。
ところが日本の敗戦と共に、二人は皇族の地位も、日本国籍も、財産も失う。夫婦は韓国渡航を打診するが「日本への協力者」として拒否されてしまう。ようやく韓国へ渡る許可が出たのは、日韓国交正常化直前の1963年のことだった。しかし夫はすでに病に侵されていた。
しかし、方子妃は夫の死後も日本に戻らなかった。そして反日感情の渦巻く韓国で、冷ややかに見られながらも、福祉活動に力を入れ、韓国社会に貢献した。そして、徐々に「韓国のオモニ(母)」と呼ばれ、受け入れられていく。87歳で死去したときは、皇太子妃の準国葬として扱われ、葬列は1キロにも及び、韓国民がその死去を痛んだ…。
■田月仙(チョン・ウォルソン)とオペラ「ザ・ラストクィーン」
オペラ「ラストクィーン」は、田月仙が10年にわたり構想を続けてきた創作オペラで、日韓国交正常化50年を記念して上演が実現する。
田月仙はデビュー以来30年にわたり、オペラアリアとともに日本に朝鮮半島の歌を紹介して、クラシックの音楽評論家からも絶賛されてきた。リサイタルではオペラアリアとともに、韓国の歌、日本の歌などを披露してきた。歴史に埋もれた歌を探し出し、関係者の話を聞き取り、歌に込められた人々の気持ちに思いをはせ、それを再び自らの解釈で歌うというものである。
オペラ「ザ・ラストクィーン」の制作でも、李方子の実像に迫るため自らが日韓各地を訪ね歩き取材した新しい情報や、埋もれた事実など基に台本を書き上げた。また衣装は1990年に日本政府が韓国に返還した幻の衣装・チョギを再現したものを使用するなどリアリティにもこだわっている。
オペラの音楽は現代音楽に朝鮮半島のリズムや日本のメロディを取り入れたオリジナル新作である。李方子の波乱の人生を音楽で表現するために和声の進行を模索する。
■田月仙(チョン・ウォルソン)ソプラノ 李方子役
東京生まれ。世界各国でオペラやコンサートに出演。初の南北コリア公演を実現し、韓国ソウルで初めて公式に日本の歌を歌う。W杯日韓共催記念オペラ「春香伝」日韓両国にて主演。日本国総理大臣主催韓国大統領歓迎公演で独唱。NHK「海峡を越えた歌姫」、KBS「海峡のアリア 田月仙30年の記録」が全国放送。
著書に「海峡のアリア」。禁じられた歌(中央公論)など。第14回日韓文化交流基金賞受賞。二期会会員。日韓交流の第一人者として活躍している。艶やかな舞台姿と魂の歌声に大きな期待が寄せられている。
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