プロデューサー・ディレクター太田慎一のプロフィール

 

1986年。コンピュータ会社に入社。のち日本ソフトバンク(現ソフトバンク)でパソコン雑誌の編集と取材、記事執筆などの業務に携わる。コンピュータと映像の融合を模索する。
1990年当時のメディアとコンピュータに関するエッセイ

1992年会社員時代に休日を利用し制作していた映像作品(ビデオ)2作品が以下のコンテストで受賞、羽仁進や大林宣彦などから絶賛。これをきっかけに映像業界に転身する。
 ・1992年度ぴあフィルムフェスティバル「OGATAを捜す'92」 
 
 ・1992年度ビクター主催・東京ビデオフェスティバル大賞「韓国へ行った」  「韓国へ行った」の 
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 1996年11月には「韓国へ行った」がRKB毎日放送の木村栄文によりJNN系列で「韓国へ行った 太田慎一の世界」として太田慎一のインタビューなどと併せて放送された。
 1996年9月には韓国国営放送KBSの看板ドキュメンタリー「日曜スペシャル」で日本人ディレクターとして初めて韓国の番組を作る。
1993年〜1997年、フリーランスのディレクターとしてNHKおよび民放の番組やVPを作る。専門はコンピュータなど科学技術関係と、韓国・朝鮮・関係。
1998年4月テレビ番組製作会社・プロダクションIAW(アイ・エー・ダブル)を設立。NHKを中心に民放各局からの映像の制作をはじめる。